恋の花咲く伊豆踊り子 昭和

清純可憐な田中絹代の
演技が満開
恋の花咲く伊豆の踊り子

蒲田映画1933年松竹キネマ株式会社恋の花咲く伊豆の踊子田中絹代主演

昭和初期、テレビのない時代に映画は庶民の大きな楽しみのひとつでした。スクリーンからは次々とのちに大スターとなる俳優がデビューしていきます。
主演を務めた田中絹代はそんな日本映画史を代表する女優のひとりです。日本映画界を黎明期から支え、小津安二郎や溝口健二他大物監督の作品にも多数出演。ベルリン国際映画祭最優秀女優賞他数々の映画賞を受賞した演技派の大スターです。本作品では、踊り子薫を可憐で愛らしく、見事に演じています。
監督は第4代日本映画監督協会理事長も務めた実力者五所平之助監督。トーキー映画が作られ始めていた時代にあえてサイレントで作られました。サイレント映画の魅力をいっぱいに引き出し、リズミカルに描かれている名作「恋の花咲く伊豆の踊り子」をぜひお楽しみください。

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サイレント映画
(無声映画)とは

音声のない画像だけの映画。トーキー出現 (1927)の後、1930年代に入って消滅。初期の無声映画は、フランス、北欧、イタリアなどで発展したが、ことに 10年代のアメリカで発達し、喜劇や活劇などが盛んになったほか、D.グリフィスによって技法が大きく進み,各国に影響を与えた。また、20年代には、アメリカ映画は各ジャンルを完成させ,ドイツの室内劇やフランスのフォトジェニー派、前衛映画、ソビエト映画などの登場で、無声映画芸術は音声を欠いたまま完成の域に達したといわれる。日本では尾上松之助に代表される剣劇映画から純映画劇運動や傾向映画などを経て、31年頃からトーキーへ移行。欧米では無声映画の上映時に楽士の伴奏だけで、説明者がいないのが普通であったが、日本では弁士が絶大な人気を博した。
出典:ブリタニカ国際大百科事典・小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について

伊豆の踊子字幕

あらすじ

休暇を利用して伊豆を旅していた水原は、ふとした機縁で旅芸人の一行と知り合い、道連れとなった。水原は次第に純情な踊り子薫に心惹かれ、薫もまた淡い恋心を抱くのだった。 薫の兄で座長の栄吉は道楽者で、親の代に持っていた金鉱も手放し苦労してきたが、芸が身を助けたのだと水原に語った。一行がある温泉宿に着くと、手放した金鉱から金が採れて、温泉宿湯川楼が繁盛していることを知り栄吉は激怒した。そして湯川楼に掛け合いに行くが、主人善兵衛に金が入用なら薫を連れてこいと云われ愕然とする。それを聞いた水原は憤慨にかられ…

伊豆の踊子あらすじ
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原  作  川端 康成

主  演  田中 絹代

活動弁士  澤登  翠

監  督  五所平之助

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